小3松江塾公式ママブロガーshovelmamaの〜今日もなんやかんやありまして〜

わからないことだらけで始めたブログ。とりあえず行動した自分を褒めたい母です。書くことが苦手な我が子の周りを右往左往する母です。忘却の達人でもあります。忘れちゃうですね。なんだかんだで毎日生きております。

習い事 誰のため 何のため 結局は自分のために

ただ習い事してるだけ

 

それだけになってしまっていないか

 

ピアノ弾けたら素敵〜ピアノ買って

譜面よむの?めんどくさい サボったれ

もちろん毎日の練習なんてごめんだわ

 

水泳やりたーい

歩いてバス停まで歩いて歩くの?めんどくさい 友だち誰もいないじゃん やめたーい

 

塾行ってるってなんかカッコいいやん

宿題?忘れました〜ただそこにいるだけ

 

部活

先輩が後輩に厳しすぎる もう辞めます

 

 

ぜーんぶ全部

 

 

私の事

 

全てが無駄だったわけではない

だけど惰性で掛けた時間(教室でのレッスン時間)とお金に対しての費用対効果が著しく低かったというお話

まぁお金は親が払ってくれたのでね

私は痛くも痒くもなかった

なんて子だ

 

 

 

もしここで親が関わっていたら?

違ったんじゃない?

私の記憶にないだけか?

 

子どものレッスンの進捗状況の把握

習い事以外の時間での復習、練習

目標、辞め時を子どもと共有できているか

そもそもどうしてそれをやるのか

 

その習い事、ただの託児時間になってたんじゃないのか??

 

 

 

今さら過去の親の行動を非難したいわけじゃない

 

ただのタラレバ

 

そして、大人になった今、いや

学生時代にも自分で気がついて修正もできたはず

 

やらなかったのは自分

辞めたのも自分

人のせいにしてきたのも自分

自分で選択した

 

 

いい大人(年齢だけ)になって自分の選択と向き合い責任を取ることになっただけ

 

 

小学生まではやりたいと言ったことは殆どやらせてもらったと思う

そこは感謝している

 

 

その殆ど身についていないぞって経験があるからこそ 

親の向き合い方を変えていけばどうなるのか?

 

検証中なのである

 

 

 

今、ふと思う

私が子どもの事で親の義務以外で「子どものために」やっていることは少ないのではないか

 

 

あとになって

私が困りたくないから 

苦しみたくないから

後悔したくないから

子どもの苦しむ姿を見たくない

 

あくまでも

私がやりたくてやってるだけ 

 

 

「あなたのために」という恩着せがまく

忘れ去りたいもの(過去)をもっているからか?

これも反面教師なのか

 

 

まぁ私のためにやった結果が

子どもが幸せに生きていけるということに繋がっていくならば

それはラッキーだ

 

 

 

 

今日もコツコツ自分のために

子どもと向き合う

 

 

親としての覚悟もまた

私にとっては自分のためなのかもしれない